22.Oct.2017
Art

パラナ川に浮かぶ詩情を求めて

Sebastián Macchi & Alburによるライブ

 ブエノスアイレスから北にバスで6時間。エントレリオス州は「川の間」という名のとおり、パラナ川とウルグアイ川に挟まれているため、窓の外の風景にも小さな湿地帯や小川が目立ってくる。州都のパラナ市は春の真っ只中で、南米原産のジャカランダ(スペイン語ではハカランダー)の紫の花が咲き誇っている。
 街の港から見えるパラナ川は独特の泥を含んだ独特の色をしていて、打ち捨てられた旅客船(ひょっとしたらまだ使っているのかもしれない)が浮かぶ風景は源流にあたるパラグアイのアスンシオン港と酷似している。国は違えども同じ川から袂をわかったのだなという実感を受ける。

 少し残念だったのが、到着日がパラナ市が街をあげてのアルゼンチン最大級の変装パーティーの日と重なってしまったこと。
 街はつんざくようなレゲトンを引っさげてブエノスアイレスからやってくる若者でごったがえし、静かなはずの普段のパラナの街は見る影もない。であう人全てに仮装パーティーのために来たんでしょ?楽しんでねという温かい言葉をかけられるけれども、わざわざここまでやってきたのはメッシやマラドーナを模倣するためではなく、地元のピアニストであるセバスティアン・マッキとアルブールがライヴを行うと聞いたからだった。

 セバスティアン・マッキは地元パラナ出身のピアニスト。カルロス・アギーレの下でピアノを学び、クラウディオ・ボルサーニ(ギター)とフェルナンド・シルバ(ベース)とのトリオ「ルス・デ・アグア」での煌くようなピアノとヴォーカル、2016年にリリースした静謐なピアノ・ソロ作『ピアノ・ソリート』などを発表しており、アルゼンチンのピアニストの中では日本では最も知られるピアニストの一人だろう。
 師であるカルロス・アギーレ同様、パラナ川の風景を詩情いっぱいに奏でるのが特徴で、CDで聴くだけではなく、実際に足を踏み入れて彼の音楽が生まれる源を目で見て感じたいという想いを常に抱いていた。

パラナ川に浮かぶ詩情を求めて
Guido Chiatti(Cb)
パラナ川に浮かぶ詩情を求めて
Sebastián Macchi
パラナ川に浮かぶ詩情を求めて
Franco Dionigi (Key), Juan Manuel Pellizza(drums)
パラナ川に浮かぶ詩情を求めて
Martin Salaberry (clarinete y sintetizador)Juan Cruz Ceraza (clarinete bajo)Juana Sallies(Voc)
パラナ川に浮かぶ詩情を求めて
Juana Sallies(Voc)
パラナ川に浮かぶ詩情を求めて
Juan Manuel Pellizza(batería)

 ラ・プラタ出身のグループ、アルブールは結成してわずか1年。メンバーも固定しておらず、ラ・プラタでもまだ知られる存在ではないが、リーダーのフランコ・ディオニジ(ピアノ&作曲)、フアナ・サリエスのソプラノボイスとマルティノ・サラベリー(クラリネット)とフアン・クルス・セレサ(バスクラリネット)の2本が核となって心地よいハーモニーを奏でていく。
 ギド・チアッティ(ベース)が堅実に低音部を支え、フアン・マヌエル・ペジサのドラムも手数は少なくも丁寧にリズムを刻んでいく。ゆったりとしたリズムとラ・プラタらしい都会的な感性の絶妙な混交具合が特徴で、まだまだ若い彼らは傑作を残していくこと間違いない。

 翌日はセバスティアンに招かれて、アルブールのメンバーとともに午後からマテを飲みながら遅い「朝食」をご馳走になる。彼らとの話の中で最も印象的だったのがヴェンダースやタルコフスキー、黒澤、溝口、小津を愛するシネフィルが多いということで、実際ヴォーカルのフアナ・サリエスは音楽の他にも映画を学んでいるそうだ。彼らの音楽が非常に視覚的なのは映画的な詩情も含んでいるからなのかもしれない。

パラナ川に浮かぶ詩情を求めて
Rio Paraná y el atardecer

 現在建設中のセバスティアンの家はバハーダ・グランデという中心部から少々離れ、パラナ川を一望できる地区にあり、対岸にはサンタフェの高層ビルも見える。アルゼンチン人のアーティストの自宅に招かれた際にひそかに楽しみにしているのが、本棚を見せてもらうこと。その人のインテレクチュアルな要素が凝縮された本棚はその人となりを知るにあたって最も手っ取り早い手段ともいえ、世界で最も人口あたりの本屋が多いと言われるアルゼンチンのアーティストの家に本が置いてないことはまずないといっても過言ではない。
 ちなみに、セバスティアンの自宅には敬愛する地元の詩人フアン・ラウレンティーノ・オルティス(通称:フアン・エレ)はもちろん、コルタサル、ボルヘス、マルティン・フィエロといったアルゼンチン文学やヘッセ、ヨガに関する資料が並んでいた。

 観光名所にいったり、年に一度の変装パーティーに参加することもなかったけれども、多くのアーティストの心のふるさとであるパラナを目で見ることができたことは大きな収穫であったし、パラナ名物の蚊に刺された跡でさえもパラナに想いを馳せる手助けとなった。