31.Oct.2017
Art

苦悩の詩人アレハンドラ・ピサルニクの人生を追う

ドキュメンタリーフィルム『照らされた記憶』

 アルゼンチン文学といえば世界に知られるフリオ・コルタサルやホルヘ・ルイス・ボルヘス、アドルフォ・ビオイ・カサーレスといったラ・プラタ幻想文学の作家たちが挙げられるが、アルゼンチンの現在の若者、特に女性から圧倒的な支持を受けるのが女流詩人のアレハンドラ・ピサルニク(Alejandra Pizarnik)だ。

 アレハンドラは1936年にブエノスアイレスのアベジャネーダでイディッシュ語を話すユダヤ系ロシア人移民の家庭に生まれた。当時は第二次世界大戦真っ只中という時代背景だ。ナチスドイツは大西洋を超えてアルゼンチンに生まれた少女にもくっきりと暗い影を落とし、アレハンドラは恐怖の中で怯えながら幼少期を過ごした。

 思春期を迎えると、当時は現在ほど認められる存在ではなかったバイセクシュアルという性的志向、生まれ持った喘息の疾患に加えて、肥満がちな体型、どもりといったコンプレックスのオンパレードに直面する。この他者への劣等感や自己嫌悪を感じるようになった彼女は次第にプルースト、サルトル、カフカといった世界文学に耽溺するようになった。

 幼少期から少女期の影響はその後の彼女の文学作品にも如実に反映されるようになり、実生活に馴染むことができなかったアレハンドラにとって、詩作を書くということが唯一の救いとなっていく。その後、19歳にして処女作『最も遠い土地』を発表し、1972年に36歳の若さで自らの人生に終止符を打つまで苦悶の人生を過ごした。

 常に人生の持つ存在意義や生きることの苦悩や愛を問い続け、生きていれば誰もが感じる感覚を独特の繊細さで描写していくゆえ、死後45年を迎えながらも現在のアルゼンチンの若者の間でも絶大な人気を誇るのであろう。

 その詩人の人生を追ったドキュメンタリーフィルム『照らされた記憶』(ビルナ・モリーナ、エルネスト・アルディト監督)は、姉のミリアンや作家フリオ・コルタサルといった友人たちに宛てられた手紙、晩年にアレハンドラが通うことになった精神科医の証言をもとに構成されている。早世してしまったため、彼女自身の映像を見ることはできないが、見事なカメラワークやモンタージュ、綿密な取材によってアレハンドラ・ピサルニクの生きた繊細な詩観を見事に再現することに成功している。

 ナチスドイツの手から逃れて過ごした幼少期、40年代~70年代の激動のラテンアメリカにありながら、ひたすら詩のために人生を捧げ、そして詩のために命をも絶った詩人の人生と死に迫り、人生に深みを与えてくれるドキュメンタリーだ。

夜 『最後の純潔(1956年)』より

おそらくこの夜は夜ではない
恐ろしき太陽に違いない
もしくは他の何か
わからない!言葉が足りない!
純潔さが、詩が足りない!
血が泣き騒ぐときに!

今夜は幸せになれるはずだった!
影に手に触れ
足音を耳にし
「おやすみ」のことばを
犬を散歩させる誰かに
投げかけることができれば
乳状の月を眺めて
お決まりのように
路傍の石に躓くことだろうに

肌を破壊するものがある
それは静脈を走る
盲目の怒り
ここを出たい!魂のケルベロスよ
あなたの笑顔を分けてくれまいか!
今夜は幸せになれるはずだった!

放置された幻想はまだ残っている
そしてこれほどの本!これほどの光!
そして私の年月!
死は遠く離れ私を見ていない
主よ、これほどの人生を!
なぜこれほどの人生を?

 

スペイン語原文
Noche

Tal vez esta noche no es noche,
debe ser un sol horrendo, o
lo otro, o cualquier cosa.
¡Qué sé yo! Faltan palabras,
falta candor, falta poesía
cuando la sangre llora y llora!

¡Pudiera ser tan feliz esta noche!
Si sólo me fuera dado palpar
las sombras, oír pasos,
decir “buenas noches” a cualquiera
que pasease a su perro,
miraría la luna, dijera su
extraña lactescencia tropezaría
con piedras al azar, como se hace.

Pero hay algo que rompe la piel,
una ciega furia
que corre por mis venas.
¡Quiero salir! Cancerbero del alma.
¡Deja, déjame traspasar tu sonrisa!
¡Pudiera ser tan feliz esta noche!

Aún quedan ensueños rezagados.
¡Y tantos libros! ¡Y tantas luces
¡Y mis pocos años! ¿Por qué no?
La muerte está lejana. No me mira.
¡Tanta vida, Señor!
¿Para qué tanta vida?

De “La última inocencia” 1956

 

ドキュメンタリーフィルム『照らされた記憶』制作
監督・プロデューサー: Ernesto Ardito y Virna Molina
脚本、撮影、モンタージュ、音声: Ernesto Ardito y Virna Molina
カナル・エンクエントロ放送 / Virna y Ernesto
声優 Alejandra Pizarnik役: Vanesa Molina
スタッフ: Carmela y Jerónimo Direse Rojo, Isadora y Nika Ardito.
インタビュー: Myriam Pizarnik, Cristina Piña, Ivonne Bordelois,
Roberto Yahni, Antonio Requeni, Fernando Noy, Mariana Enriquez.