30.Oct.2020
Art

街中のグラフィティ

壁画アート散策

ブエノスアイレスの通りを行くと、判読不明の書きなぐりから写実的な人物画まで、様々な落書きや壁画を見かける。行為の意図がまったく異なるものが、誰でも通行人として見ることができる空間をカンバスとして、玉石混交入り交ざっている。

街中のグラフィティ

この都市の造りは港から街が扇状に広がっていて、扇の骨となる大通りを基本として碁盤の目のように通りが走っている。道路で区切られた一ブロックの区画にみっしりと建物が詰まっていて、基本的に建物と建物の間に隙間がない。そのため、そこに公園ができると壁で囲まれる空間になったり、隣接する建物の外壁がむき出しになったりする。そのせいか、グラフィティが流行する前から、無味乾燥な空間を埋めてくれる壁画がよく用いられてきた。

市役所や店舗のオーナーの許可や依頼を受けて、壁やシャッターに画を描く場合、その施設や店舗イメージの向上、そしてペインターの収入としても相互的な恩恵をもたらす。ペインターはムラリスタ(壁画家)であり、壁は大きく高所の場合もあるため、仲間と共同作業するケースも多い。また外での作業なので、通りかかった人からの好奇心に満ちた質問を受けるなど、人との交流が生まれやすい。ムラリスタたちは昼の日差しの下、晴れやかな眼差しで、街の風景の一部である彼らのカンバスと取り組む。

近年グラフィティで注目を浴びている3つの地区を紹介しよう。

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パレルモ・ソーホー地区

店の顔である入り口正面にその商売に合わせたイラストを描いたものや、まるで写真のような商品広告など、カラフルでポップな壁画が多い。もともとこの地区は、伝統的なヨーロッパ風の平屋もしくは二階建ての建築が多く、落ち着いた住居地区であり、一時は鄙びた雰囲気だったのが、若手デザイナーらが参入して今日のお洒落な地区となるに至った。そのクラシックな建物本来の重厚さに、遊び心に富んだ色彩をまとった現代的なカフェテリアやブティックが並ぶ。

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サン・ニコラス地区

ブエノスアイレス市の中心街に位置するこの地区は、オフィスや店舗が密集していて昼間は行き交う人々で賑わうが、夜になると急に閑散としてひっそりと静まり返る。時計屋と宝石店がずらりと軒を並べるリベルタ通りは、シャッターが閉り、意味不明の落書きが薄汚れた雰囲気をかもし出す。以前はそんな感じだった。

 

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近隣に越して来たサンティアゴ・カバング氏は、この通りの昼の賑わいと夜の顔の落差に愕然とした。地元住民しか知らない夜間の殺風景さを、何とか変えようと決意。各店舗のオーナーと話して回り、仲間に呼びかけペインター達を集めた。そして店が一律閉まる日曜日に集合し、許可してくれた店舗のシャッターに絵を描いた。最初は承諾しなかった他店のオーナーも、できあがった絵とその効果を見て、次々と自店舗のシャッターに絵を描くことに合意し始めた。実は以前から多くの店舗が落書きに悩まされ、落書きされてはそれを消すという、イタチの追いかけごっこに疲れていたのである。消すための費用、ペンキ代は決して安くはないので、諦めて落書きを放置するしかない状況だった。

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しかしシャッターに絵が描かれるようになってから、落書きが減った。薄汚れた灰色のシャッターが無味乾燥に並んでいた外観が変わっただけでなく、落書き被害が大きく改善されたのだ。絵には作者のサインがあり、路上の不文律として、描かれた絵の上には書かないという暗黙の了解がある。もしそれを破るとしたら、それを上回る絵を描く場合だけだ、と。それでも無法者はいるのだが、しかし店舗にとってはある程度有効な対策となったのである。

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「シャッター・プロジェクト」の回を重ねるごとに、カラフルなシャッターがリベルター通りをどんどん進攻していった。さらに楽器店や照明器具店が並ぶタルクアノ通りなど、近隣の通りも次々と塗り替えていった。参加するペインターも増え、活動が有名になるに従い店舗の了承も取りやすくなっていった。店舗の業種は絵に考慮されるが受注業務ではないので、具体的に絵の内容に注文をつけることはできない。ペインターの創造性に委ねられる。また一つルールがあって、サッカーのチーム、宗教的なシンボル、政党に関するものは描かないという決まりだ。物議を起させない賢いやり方である。

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ボカ地区

観光スポットとしてカミニートが有名なボカ地区は、貧しき通りを色彩で美化するという画家キンケラ・マルティンの発想がすでに都市空間の芸術であった。

2016年からは、ブエノスアイレス市の公共空間・公衆衛生局が「コロールBA(ブエノスアイレスのカラー)」を開催している。これはアルゼンチン国内外のアーティストが壁や建物の正面に壁画を描き、都市芸術を公共の場所で実施するという催しである。当地区の文化センターである「アート発電所」周辺の通りを中心に、彩りがくすんでいたボカをストリート・アートの聖地として息を吹き返させた。壁画のほか、同プロジェクトのシャッター版も開始し、地域の文化・観光振興を推進している。

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こうした都市空間の芸術は、落書きとしての非合法なグラフィティとは一線を画し、公益と芸術の有用性において社会的に認知されている。裏を返せば、都市はコンクリートと金属のカオス、それだけ無味乾燥な外観の建物や空間が多いということなのだろう。だからこそ、描く。近代都市生活に、少しでも潤いをもたらすために。