15.Feb.2020

心を通わせるマテ茶

毎日の暮しの友

 人と親しくなるための方法は色々ある。共に食事をしたり、お酒を飲んだり、飲食を共にするというのは、どこの国でも基本的な手段だろう。しかし、アルゼンチンにはマテがある。近年は日本でもマテ茶の名前が知られてきたようだが、ただの飲み物と思うなかれ。それはマテが単に喉を潤すことを目的としているのではなく、人との関係をも潤すという重要な使命を果しているからである。マテを振舞う、というと大げさだが、それにはひとつの儀式めいた様式美があるのだ。

心を通わせるマテ茶

 友の手から、家族の手から、今日初めて会ったばかりの仲間の手から差し出されるマテ。美味しく淹れる方法はあっても、人それぞれ微妙にこだわりが違う。人が淹れてくれるマテは、何だかいつもより美味しく感じる。ありがたい感じがする。マテを一緒に飲み交わすと親近感が増す。でも、だからと言ってマテにそんな媚薬が入っているわけではない。ゆっくり一人一人が自分のペースで飲む間、おしゃべりに花が咲いたり、さっき言わなかった本音が聞けたり、心底くだらないことで笑いあったり、沈黙の労わりで癒されたり、マテ壺が人々の手を行ったり来たりする間、様々なやりとりが交わされるからなのだ。

心を通わせるマテ茶
マテを飲みながら公園で寛ぐ人々
心を通わせるマテ茶
マテ茶を飲みながらニュース番組の放送中!

 みんなでお茶を飲むというのは、ただ単にヒトが飲料を摂取するということだけではない。アルゼンチンで、家にマテ一式がない家庭はないだろう。例え本人は普段マテ茶を飲んでいなくても、家に誰かが遊びに来て、所望されたらすぐに出せるのである。そう、これはおもてなしの心と同じなのだ。そしてまた独りぼっちの時でも、終わらせなければならない仕事や試験勉強に打ち込む夜でも、マテは私達に寄り添って、いつも一緒にいて、励ましてくれる。マテこそが、善き相棒なのである。

心を通わせるマテ茶
マテ茶でリフレッシュしながら勉強に集中

 だから道具選びは大切だ。まずマテ壺というマテ茶の容器。これはひょうたんの中味をくり抜いたものや、木製、またはそれを銀やアルパカ(動物にあらず。洋銀、ニッケルシルバーと呼ばれる合金のこと。)で覆ったものなどがあり、最近はガラス製、陶器、プラスティック製なども売られている。食卓で使用するか、持ち歩いて使用するかで、好みの形を選ぶ。手にしっくりと馴染むものが良い。肩に水筒を担いで、マテ壺を手で持ち歩き、肌身離さず、というよりむしろマテと一体化しているかのように颯爽と歩いていく姿は、なかなか格好良い。

心を通わせるマテ茶

 そして先端に小さな穴や隙間を開けた金属製の「ボンビージャ」と呼ばれる吸い口の管。これは、煙管ならぬ喫茶管とでも名付けたくなるような、味わいのある茶道具である。だからストローと呼ぶには多いに気の毒だ。下の先端部分はいくつかの形があり、使っていくうちに穴が詰まってくるので、取り外せるものだと掃除がし易い。道具の手入れをきちんとすれば、いつまでも永く愛用することができる。

心を通わせるマテ茶

 家族の団欒から一期一会の出会いまで、掌から掌へと、人と人の絆を紡いでいくマテ。毎日の暮しの中でなくてはならぬ相棒は、南米文化の中にしっかりと根付いている。

心を通わせるマテ茶