Buenos Aires – Y cuarto, menos cuarto
もう19年が過ぎてしまった。
「南米のパリ」と聞いて、想像を膨らませ思い描いていたブエノスアイレス。降り立った空港は、華やかさの欠片もなく、殺風景で暗く、30時間に及ぶ飛行機での旅の疲れも重なって、どうしようもなく気分が沈んでしまった事を覚えている。この街の第一印象は、全くのマイナス!
空港から40分ほどの漸く辿り着いたホテルは、市内中心部。5月広場からすぐ近くの「CITY HOTEL」。入ると、細長いロビーに年期の入った絨毯。アンティークの椅子が置かれてあり、手動式ドアのエレベーターに、初めてここは日本じゃないんだ、と感じたんだっけ…
まだ外が暗い4時頃から目が覚めて寝られず、窓を開けて外を見ると、湿気をはらんだ早朝の空気の中を、自転車やバイクが行き交い、ドサッ、と届けられた新聞を解いている人、パンらしき物を籠に入れて運んでいる人、歩いている人、街はもう動き出していて、これから始まるブエノスアイレスでの生活に期待や不安を感じる事も忘れて、辺りが明るくなるまでじっと見ていた。
窓から見える斜め向かいの大きな時計塔の鐘が15分おきに鳴る毎に、ここは日本ではないのだ、と自覚させられるような気分だった。19年のうちにそのホテルは名前を変え、近代的なホテルになり、昔の面影が感じられるところはごく僅かしか残っていない。ホテルの窓から見えていた時計塔は、実は1931年に建てられた、現在は立法議会として使われている歴史的な大きな建造物で、私のブエノスアイレスはこの時計塔の鐘の音から始まったのだ。
この立法議会のすぐ先に5月広場がある。なるほど!ヨーロッパというのはこんな感じなのか、と、アルゼンチンを通り越して思いはヨーロッパへと飛んでいた。これが、旅行だったらつぶさにガイドブックを見て調べていただろうに、半ば強制的に連れてこられたアルゼンチンの、その時は全く何の知識も持っていなかったのだ。もちろん、スペイン語など全く分からなかった。その私が、今はブエノスアイレスの観光ガイドをしている。人生ってなんて不思議なんだろう。
アルゼンチンに来て暫く、日本が恋しく、帰りたくて帰りたくてたまらなかった私に、知人が「今は日本が恋しいだろうけど、3年も経てばここに住むのが楽しくなるよ」と言った。その時の3年というのは、私にとって100年も先の事のように思え、そんな事があるものか!と思っていたのに、もう19年…。今、私はブエノスアイレスの一部になっている。
これから少しずつ、騒々しくて、いい加減で、明るく、楽しむ事を知っている人々が住む、この南米の大都会(もどき!)の日常をジャンルを問わず発信していきたい。
竹内佐知子