アサード
~ アルゼンチンを感じるとき
アルゼンチン料理を描写するにおいて欠かせない要素は、香り、味、色彩、場の空気感、人間の温かさ、そして静寂の絶妙なコンビネーションだろう。家族や友人で、レストランや自宅、屋外と、誰とどこでも楽しめるのも大きな魅力だ。
アルゼンチン料理といっても単純ではない。アルゼンチン料理とは独立前からこの土地に根付くガウチョ文化やスペインのクレオール文化、独立後の1860年以降移民を多く排出してきたイタリアといった多様な文化の混交の結果であり、それはアルゼンチンという国そのものであるということもできるだろう。
その最大の特徴的な要素としては家族や友人で集まって食べるためにあるということにつきる。日曜日に家族が集まって昼食を食べ、それぞれが一週間を振り返って語りあい、時間を共有する習慣こそがアルゼンチンという国が語られ、そして味わいをもたらす瞬間だといってよい。
アルゼンチン料理の象徴として君臨するのがアサードである。アサードは料理という範疇にくくられているが、実際のところは「儀式」と考えて頂いたほうがわかりやすい。炭火で肉を焼くこの儀式を単に「アルゼンチン式バーベキュー」と翻訳するのは浅はかだろう。その荘厳ともいえる「儀式」は着火、そして入念に炭へと火を移していく作業から始まる。その間にアルゼンチン産の赤ワインやビール、フェルネいった飲み物やピカーダとよばれるサラミやチーズといったおつまみがゲストたちの手に運ばれていく。
その場はアサドールと呼ばれる職人によって取り仕切られている。職人とはいっても招待元のおじさんが務めることがほとんどなのだが、普段は豪快で奔放なアルゼンチン人であってもこのときばかりは人が変わったように実に細やかに肉に包丁を入れ、忍耐強く肉の火通り具合を確認し、その場を厳粛な雰囲気に包むという謎の多い瞬間でもある。各家庭で伝わるその巧みの技の謎を知るべく異邦の民が軽々しく入りこむ余地は皆無だ。
アサードにおいてはアルゼンチンが世界に誇る牛肉(リブ、ハラ、などが主)はもちろん、チョリソ、モルシージャ(血を固めたチョリソ)といったものが食卓に並べられる。その味付けとしてチミチュリ(オレガノ、パセリ、にんにく、オリーブオイル)やサルサ・クリオージャ(パプリカ、トマト、たまねぎ、オイル)に加え、レタス、トマト、たまねぎといったミックスサラダ、ロシア風サラダ(茹でじゃがいも、にんじん、マヨネーズ)といったものが味わいと色彩を一層豊かにしてくれる。
いよいよアサードが食卓に運ばれ、招待客が舌鼓を打ちはじめる。招待客が集まり始めてからの喧騒の中、ようやくひと時の静寂が訪れたかと思う日本人的な落ち着きもつかの間、「アサドールへ拍手!」という賞賛によって見事にその静寂は破られることになる。
この賞賛によって、ようやく肉の焼き加減に週末の全エネルギーを注いできたアサドールの肩の荷は降り、ふつうのおじさんへと舞い戻ることができる。アルゼンチン人にとっては何事もない日常だが、異邦人からすればこの一種のトランス現象は「儀式」といってもおかしくない。
アサードに時間の概念は存在しない。始まりの時間が告げられていたとしても、それは目安に過ぎず、あえて破らなければならないのが暗黙のルールであり、終わりの時間など設定されていないし、参加者の中にギターを弾けるものがいればその後はギタレアーダと呼ばれるギターの弾き語りが制限なく始まり、フォルクローレや自作の音楽を披露する場に変わる。
なぜ元から開始時間を設定するのか疑問に思ったり、その後の予定がもし気になるのであれば参加しないほうが健康な精神状態を保てるだろうが、それでも参加してしまうこの儀式には何か魔術的な魅力がある。レストランやアルゼンチン国外ではなかなか味わうことのないアサードの魅力、どこまでも奥が深い。