ペンギンと赤ワインの冷やかで情熱的な関係
ペンギンサーバー
つやつやとした滑らかな陶器のペンギンは、かつては食卓の定番用品であった。大衆的な食堂や居酒屋兼商店でハウスワインを注文すると、このペンギンサーバーに注がれて提供されていたし、家庭でも愛用されていた。その後は、土産物店や生活雑貨店、郷土料理の食堂で細々と流通する時代が続いていたが、近年のノスタルジックな田舎風スタイルの流行により、時には派手な色使いをまとい、とぼけた顔で澄まして、お洒落なワインセラーなどの陳列棚に並んでいるのを見かけるようになった。
1930年代にイタリア系移民から普及し始めたといわれているこのサーバーが、50年代から70年代にかけて一般に普及したのは、なにもワインを華やかに開かせるデキャンタージュのためではない。その背景には、ワインの製造から流通、販売の形態に要因があった。なぜサーバーが必要であったかを考えてみよう。
メンドーサ州やサン・フアン州など各州のワイン醸造所は、ブエノスアイレス市やロサリオ市など大規模な消費のある都市に、酒樽などで大量のワインを輸送し、プルペリアと呼ばれる居酒屋兼商店や一般の商店、または食堂に卸していた。そうした店が独自に瓶詰をして小売していたので、ワインの状態は発送時と同じとは言えず、品質に確かな保証が無かった。
樽や大瓶では居酒屋や家庭の食卓では注ぎにくいので、サーバーが必需品であった。この時代のワインはいわゆるテーブルワインであり、大衆的な飲み物であったので、デキャンタージュなどのワインの作法に由来する訳ではなく、サーバーはただ単にとても便利な食卓用品だったのだ。持ち手の部分が籐で編まれたタイプや、他の動物をモチーフとした型など様々なデザインが誕生したが、「国民的」といえるほど定着はしなかった。見た目の可愛さだけではなく洗浄しやすいことから、シンプルな現在の形となったようである。
1984年に、ワインはそのブドウの生産地で瓶詰めされるべしという政令23.149号が発布され、また90年代にはワイン産業への投資拡大などで、アルゼンチンのワイン事情は一変する。それに都市部での生活形態の変容、大家族の減少などもあり、食卓でのサーバーの必要性は激減した。しかし多くの人々の記憶のなかで、ペンギンが佇む食卓の風景が残っており、両親や祖父母の思い出と共に大切な一頁となっている。だからこそまさに「おかえり!」という感じで、昨今の懐古ブームも頷けるのだ。
それにしても何故ペンギンなのか?
ツヤツヤした陶器の質感がペンギンらしかったからとか、南極の寒冷地に生息するペンギンが葡萄畑の血であるワインを身に湛えるイメージが成功したからとか、ペンギンもワインも低温を好むからとか、くちばしが注ぐのに便利だったからとか、格式あるウェイターのような佇まいだからとか、台所というものは偶然の発明にあふれているものだからなど、様々な諸説がある。
ぜひ一度、使ってみて欲しい。赤ワインがペンギンのくちばしから注がれる様子は、想像しているよりもずっと衝撃的な光景だ。そして陶器のなめらかな艶と深紅のコントラストが美しい。赤ワインも南極のペンギンもアルゼンチンを代表する自然の恩恵なのだ。一度使えば、その不思議な出会いを不思議には思わなくなるだろう。