25.Jul.2021

海を渡り山脈を越え マルベック葡萄畑の新天地

「世界マルベックの日」を紐解く

海を渡り山脈を越え マルベック葡萄畑の新天地

アルゼンチンワインといえばマルベック。この優雅な葡萄酒は、いまや国を代表する魅力のひとつとして挙げられる。

4月17日は「世界マルベックの日」である。
これはアルゼンチンワインを国際的に促進する機構 Wines of Argentina によって開始された記念日だ。外務・国際通商・宗務省、投資・貿易促進庁、アルゼンチン・ブドウ栽培醸造業組合( COVIAR )というお歴々の支援のもと、国内のワイン醸造産業の成果を称え、そして何より世界におけるマルベック種ワインの地位を確立することを目的として設けられた日である。

最初の「世界マルベックの日」は2011年4月17日、36カ国45都市で72以上のイベントが実施された。以降、毎年世界の各地で催しが開かれ、一昨年2019年4月17日には44カ国75都市で89のイベントが開催されるという成果を収めてきた。

海を渡り山脈を越え マルベック葡萄畑の新天地

2020年は第十回の節目を迎えたが、コロナ感染拡大の脅威によりアルゼンチンでは都市閉鎖、世界各国共々イベントどころの話ではなかった。
そして迎えた2021年4月、日常生活は一変したが、しかし多様化した通信ネットワークを駆使できるこの時代、生産者や輸出業者をはじめマルベックに尽力する人々とって、アルゼンチンがワインの国であることを世界へ向けてアピールできる機会であることに変わりはなかった。むしろ共に分かち合う大切さへの認識が、より一層深まったかもしれない。

さて、なぜこの日を「世界マルベックの日」と決めたのか?
それはアルゼンチンにおける本格的なブドウ栽培とワイン造りの歴史に由来している。

海を渡り山脈を越え マルベック葡萄畑の新天地

コロンブスによる新大陸発見以降、イエズス会の修道士らにより、植民地となった南米にもブドウ栽培やワイン造りがもたらされた。ワインはミサのために必要な飲み物であるからだ。よって、後に独立を遂げたアルゼンチンにおいても、当然ワイン醸造は営まれていたが、大規模なものではなかった。そこへ、ブドウ・ワイン事業を国家的な産業とする展望を抱くある人物が現れた。

サン・フアン州出身の政治家ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント( Domingo Faustino Sarmiento 1811-1888 )は国民的作家であり、公立教育構築の父であり、歴代アルゼンチン大統領のうちの一人である。
若かりしサルミエントは、政局の事情ゆえに隣国チリに逃れなければならなかった。1816年7月9日に独立宣言をしたアルゼンチンでは、それ以降政権の紛争が続いていたからである。
その後も幾度かに亘り彼はチリで生活するのだが、当時のチリでは公立教育を制定する過程にあり、またチリ政府は将来の主力産業として、フランスの農業、ことにブドウ栽培とワイン醸造に目を向けていた。専門的な研究者と教育指導者の育成を掲げ、そのためには本場フランスの農業技師やブドウの専門家たちを招き、パリの師範学校をモデルとした教育機関が必要だと先見の明ある指導者たちは考えた。こうして1842年、本格的に農作物の研究をする栽培園と学校がチリの首都サンティアゴに創立されたのである。
それは中南米で最初の公立学校であり、その校長に就任したのがサルミエントであった。

海を渡り山脈を越え マルベック葡萄畑の新天地
ドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント

さて、アルゼンチンの政権が変わり帰国したサルミエントは、国の将来を見据え、フランスやチリに倣って同様の教育機関を創立したいと考えていた。そこでブドウ栽培を主として、様々なヨーロッパ種の農作物を南米の風土に合うよう研究して育てる畑と農業学校の創立案を練った。
そのため、チリで働いていたフランス人農業技師ミシェル・エイメ・プージェ( Michel Aimé Pouget 1821-1875 )が起用され、マルベックやカベルネ・ソービニョン、ピノ・ノワールなどフランス産のブドウ品種をはじめ、森の植物や養蜂のための蜂など、様々な大地の恵みの種がアルゼンチンにもたらされたのである。そこには隣国チリとサルミエントの友好関係が覗えよう。そしてプージェは農業学校に校長として就任した。

その学校が創立した日、ではなく、サルミエントが公式に栽培園および農業学校の創立案をメンドーサ州議会に提出した日が1853年4月17日なので、これがマルベックの記念日として選ばれたのである。

しかし創立のわずか数年後、予算不足などの理由により残念ながら学校は閉鎖された。だがプージェはその後もアルゼンチンでブドウ栽培や農業指導に従事し、大きな功績を残したのである。またサルミエントは出身地サン・フアン州でも、メンドーサ州同様の学校を創立し、後にはアルゼンチンの大統領の座に就いたのだった。

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さて19世紀末頃になると、アルゼンチンではイタリアやフランスからの移民たちの手によって、ブドウ栽培・ワイン醸造が確実に定着していった。プージェによってもたらされたブドウ品種の中でも、特にマルベックは、メンドーサ州の強い日差しと昼夜の寒暖の差が顕著な気候風土によく馴染み、本家本元のフランスとは異なる個性を展開していく。

1962年には、マルベックの葡萄畑は全国で計58.577ヘクタールにまで及んだ。しかしその後、他の品種栽培の成長に押され、次第に下降線を辿って行き、一時は栽培面積が9.746 ヘクタールまで落ち込んでしまう。
ところが1990年代半ばから、ワイン生産は質や個性を重視する方向へと転換し、それと共にマルベック栽培は再び拡大していく。そして2020年のマルベックの栽培面積はアルゼンチン全土で45.657ヘクタール、国内で最も栽培されている品種である。2011年の31.773ヘクタールからこの10年で43,7%の拡大となり、発展的な成長を遂げている。

[ 2020年 赤ワイン醸造用全品種の栽培総面積:単位ヘクタール]
 アルゼンチン国全体  115.778 ha
[ 2020年 赤ワイン醸造用マルベック種の栽培面積]
 アルゼンチン国全体    45.657 ha
 うち筆頭メンドーサ州   38.644 ha
つまり赤ワイン用葡萄畑の39,4%をマルベック種が占めたということであり、そのマルベック種葡萄畑の84,6%をメンドーサ州が占めたということである。

[ 2020年 赤ワイン醸造用全品種の総収穫量:単位キンタル 1qqは100kg ]
 アルゼンチン国全体  10.067.304 qq
[ 2020年 赤ワイン醸造用マルベック種の収穫量]
 アルゼンチン国全体    3.721.290 qq
 うち筆頭メンドーサ州   3.195.129 qq
つまり赤ワイン用葡萄の収穫の36,96%をマルベック種が占めたということであり、そのマルベック種の85,86%がメンドーサ州で収穫されたということである。

赤ワインの中でもマルベックがどれだけ盛んに生産されているか、また各州の中でもメンドーサ州が突出していることがお分かり頂けたであろうか?因みに大差こそあるものの、これを追うのがサン・フアン州である。

海を渡り山脈を越え マルベック葡萄畑の新天地
マルベック種

ところで本来マルベック( Malbec )種は、フランス南西部で生産されてきたコー( Côt )あるいはオーセロワ( Auxerrois )と呼ばれる品種である。この品種を使用してカオール地域で醸造するワインは、ローマ帝国時代からその名が知られてきた。ところが19世紀になって、ヨーロッパに蔓延した害虫のブドウネアブラムシ(フィロキセラ)により、葡萄栽培は危機的な打撃に見舞われてしまう。
しかし、そうした困難を乗り越えて「カオールのワイン」の名声は今日も不動であり、黒いワインとして誇り高い存在感を放っている。
新大陸と旧大陸のマルベックを飲み比べてみるのも面白いだろう。

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南米の気候風土のおかげだけではなく、牛肉の食文化がマルベックワインとよく合うことも、国内での人気定着の要因に違いない。アルゼンチンの牛肉は牧草育ち、葡萄と同様に広く青い空の下で伸び伸びと育てられている。当然、マルベックとは理想的なマリアージュだ。
しかし、どうか赤ワインと肉という固定観念に陥らないでもらいたい。

世界中へ届けられたアルゼンチンの親善大使マルベックワイン。
こういう時代だが、いや、だからこそ、この親善大使は世界を巡っている。2020年度、マルベックワインは世界119ヶ国の国へ輸出された。だからもし、あなたの国でマルベックと出会ったら、あなたが好きな食材や、その土地の新鮮な食材とのマリアージュに果敢に挑戦して欲しい。思い込みや既成概念に捉われていてはつまらない。世界の人々に、居ながらにして新しい味覚の旅と発見をしてもらえるよう、我らがマルベックは世界へと飛び出して行ったのだから。

海を渡り山脈を越え マルベック葡萄畑の新天地

データ出典:Instituto Nacional de Vitivinicultura
・INFORME ANUAL DE COSECHA Y ELABORACION 2020
・INFORME DE VARIEDAD MALBEC/ MENDOZA, ARGENTINA – MARZO 2021