アレハンドロ・フラノフ ~ 血に流れる音楽の才
ーふたりの眼差し、ひとりの被写体シリーズNo.2ー
このシリーズでは音楽家やアーティストなど1人の人物を、2人の写真家が撮影し、それぞれの視点から被写体の人物像に迫ります。当サイト2Miradasの写真家ディアナ・アツミと、ゲストの写真家が各自の手法で人物の魅力を引き出します。
音楽家:アレハンドロ・フラノフ Alejandro Franov
ゲスト写真家:マルティン・アコスタ Martín Acosta
アレハンドロ・フラノフ 経歴
1972年6月15日、音楽家一家に生まれる。作曲とピアノを独学で学ぶ。14歳にして、兄でベーシストのセサルとギタリストのキケ・シネシのグループであるシネシ―フラノフでオリジナル曲「スーダン」を演奏。フラノフ兄弟としてリト・ネビアのMELOPEAレーベルからレコードをリリースし、その名声を確かなものにする。フアナ・モリーナ、ルイス・サリーナス、リリアナ・エレーロらとプロジェクトをともにし、中国や日本公演も実施。
2000年にはファーストアルバムとなるソロ作『アクセソリオン』をリリース。特に日本で大きな反響を獲得し、7枚の日本盤アルバムをリリース。2011年からは映画サウンドトラックのにも携わり、現在まで5つの作品を残す。ソリストとしては2枚組の『ソロ・ピアノ』、ガルデル賞を獲得したサントラ『ROMPECABEZAS(パズル)』など13枚のアルバムを発表。現在3枚目となるピアノソロ作『ALBRICIAS(祝辞)』を編集中。
「自分は音色、そして音楽を構成する5つ目の要素でありながら現在重要性を失いつつある音色のコンビネーションをヘルメットを被って探究する音楽家だと思っている。多くの楽器や物、編成が生み出す音色の中にこそ必要性があると思う。同時に自分は即興演奏を行うピアニストで、不確実な歌曲集、エスニックなアコーディオン奏者、アルゼンチンにおけるシタール奏者、多民族的なシンガーであると同時に、作曲家であると思う。自分の音楽を奏でてはじめて自分であることができる」