17.Sep.2017

リサンドロ・バウム / キンテート・バタラス

~ ラ・プラタの音楽家シリーズ

リサンドロ・バウム / キンテート・バタラス
Quinteto Bataraz: Lisandro Baum, piano | Carolina Cajal, contrabajo | Matias Gobbo, bandoneón | Sebastián Henríquez, guitarra | Pablo Farhat, violín.

 ブエノスアイレスの都市性を持つタンゴのエッセンスにジャズの要素をふんだんに散りばめ、多くのアルゼンチンの音楽家に影響を与えてきているディエゴ・スキッシ。そのディエゴも認め、お互いに刺激しあう仲にあるのがタンゴとフォルクローレのうまみを巧みに折衷し、新たな波を作り上げるキンテート・バタラスのリサンドロ・バウムだ。
 バンドネオン、バイオリン、コントラバス、ギター、ピアノという編成はタンゴそのものだが、リズムはフォルクローレ。敬愛するオラシオ・サルガン率いるキンテート・レアルやアストル・ピアソラのキンテートがフォルクローレを演奏していると想像しながらこのキンテートの構築にいたったという。
 そのキンテートで3年ぶりとなる新作『Fiero』はCDとなんとレコードでも発売されるという。満を持してリリースされる新作にいたるまでの経緯やこれまでの音楽人生について語ってもらうべく、ラ・プラタ市郊外にあるリサンドロ・バウムの自宅を訪ねた。

 

ラ・プラタ市郊外のこの実家からインスピレーションを受けるものはありますか?
リサンドロ おそらくね。ほかの場所に住んだことがないんだ。ここは自分の日常そのものだからね。街も好きだけどラ・プラタの外には一度も住んだことがない。ラ・プラタの中心部に住んだんだけれどドアを開けてそこで家が終わるという概念が理解できなかった。このあたりには公園や家の延長線上にあるものがあるけれど、アパートでドアを閉めて、全てを家の中に入れてここまでが自分の家だという圧迫感には耐えられなかった。
 とはいっても僕は自然派というものではない。自然とは常にすぐそこにあって自分もそこで生きているものだからね。この家で録音もするけれど、自然と鳥の鳴き声が入っていたりして、日常的こそがまさに「自然」にあるものなんだ。

-2014年のファーストアルバムの録音にいたる経緯は?
リサンドロ  キンテート・バタラスは始めはリハもほとんどやらず、国の基金から助成金をもらうために1枚目のアルバムを録音してビデオを撮った。応募のために曲目を送らないといけなかったんだけれどまだ4曲しかなかったので曲をあわてて作ったんだ。グループ名もまだなかったんだけれど、結果として応募に受かってしまって、「どうしよう?」ってなった。

Falleando」という曲はメンバーに知り合ったマヌエル・デ・ファジャ音楽院から?
リサンドロ そう、ギタリストのセバスティアン・エンリケスにはファジャ(音楽院)で知り合って、その曲は在籍中に書いた。そこで1年学んで、オルケスタ・エスクエラ・デ・タンゴ・デ・エミリオ・バルカルセに行くことになったので途中で辞めることになったんだ。現在では講師を務めている。その曲は元々は母親へのユーモアをこめた名前をつけてたんだけれど、これじゃまずいなと思って変更することに(笑)。以前は音楽院は別の場所にあって、ワインを飲んでみんな踊って楽しく過ごしてたよ。今はすっかりそれなりの音楽院らしくなっちゃったけれど。

アカデミックなバックグラウンドに関しても教えていただけますか?
リサンドロ 2007~2008年に、エミリオ・バルカルセ・タンゴ学校に所属した。ちょうどエミリオ・バルカルセからネストル・マルコーニへと指揮者が代わるころで、マルコーニとはパリへのツアーにもでかけた。素晴らしいマエストロ達とタンゴ以外の音楽も弾けたことはよい収穫だった。多くのミュージシャンを輩出していて、自分たちの代は5番目だった。
 ラ・プラタの音楽院を卒業してとりあえずラ・プラタ大学の芸術学部にいったんだけれど、専攻はどれも好きになれず、作曲、ピアノという科目をとったんだ。何をすればいいのかわからなかったけれど、「聴覚」、「調性」といった科目は自分の中で大いに役に立っている。
 そのあと現在84歳のピアニストのイルダ・エレーラのCDを聴くことがあって、今までにないくらいの感銘を受けて彼女の元で学びたいと思うようになった。彼女の足跡をたどるうちに偶然に連絡がとれてCIMAPというプログラムを行っているというのを知った。クラスも行っていたので、入学のオーディションを受けてみた。ブエノスアイレスというのは傑出したピアニストばっかりでなんだか怖かったよ…。ブエノスアイレス中のピアニストが集結してるなんて考えたらね。
 でも実際に行ってみたらイルダは素晴らしい人で、入学してそこで学ぶうちにラ・プラタの大学は辞めて、ブエノスアイレスのマヌエル・デ・ファジャ音楽院に通うようになった。翌年エスクエラ・デ・タンゴ・エミリオ・バルカルセにも受かって、多くのものが重なってしまったのでマヌエル・デ・ファジャ音楽院は辞めた。オルケスタではアンドレス・ピラールやマティアス・マルティーノといった友人に恵まれた環境のもとでタンゴを学んで、イルダのもとでフォルクローレを学んだ。
 マティアス・マルティーノは最近マリアーノ・“ティキ”・カンテロ、フアン・パブロ・ナバーロと『El otro Salgan(もう一人のサルガン)』をリリースしたけど、仲良くしているよ。オルケスタではネストル・マルコーニ、フェデリコ・ペレイロ、ビクトル・ラバジェンがバンドネオン、ラミーロ・ガジョがバイオリン、ファジャでも一緒に教えているニコラス・レデスマがピアノといったマエストロ達がレッスンに来てくれた。
 そのときのブエノスアイレスでのこの人たちとの経験が自分の未来を決定付けるものだった。ラ・プラタには何もなかったからね。カンシオンやカンドンベ、ラテンアメリカの音楽はあったけれど、自分が求めていたレベルのアーティストのものはなかった。全てが首都ブエノスアイレスに集まっているんだ。
 ビクトル・ラバジェンはロサリオ、ラミーロ・ガジョはパラナ、フェデリコ・ペレイロはフォルモサ、イルダ・エレーラはコルドバから、ニコラス・レデスマはラ・パンパといったふうに。ブエノスアイレスにいることほどよいことはない、全てが集まるんだからね。

バタラスとは?
リサンドロ 基本的にはガルデルが歌っていたスタイルのこと。そのほかにも多くのことをさすのだけれど、自分の中ではミシオネス州のギタリストのことでもある。話し上手で面白い人なんだけれど、アルコールもひどくて、今70歳くらいなんだけれど、ギターはうまい。ボレーロ、タンゴ、フォルクローレ、なんでもうまい。ジャングルで生まれた人で、劣悪な状況のキャバレーなんかで弾いていたこともある。ピックを使って演奏していたこともあって、バタラス(雄鶏の一種)と呼ばれていた。
 ヨーロッパにも長年滞在したんだけれど、彼の人生は闇に包まれていた。彼と演奏し、演奏方法や仕事に対する考え方など多くのことを学んだ。都市とジャングルで育った家庭環境という不思議な人だけれどその全てに惹かれた。
 バタラスというのは音楽のスタイルのこともさす。タンゴとフォルクローレの境界線がそれほどはっきりしていない頃の話で、どちらかの専門歌手というのがいなかった。というのもバタラスというのは羽の色が混ざった雄鶏のことを指す。
 音楽家としてというより音楽愛好家としてグループを結成したといってもいいね。母はフォルクローレをずっと歌っていたし、自分もずっとフォルクローレに携わってきた。青年期はジャズとピアソラばっかり聴いていた。フォルクローレも素材としては好きだけれど、音楽として、作曲として、満たしてはくれなかった。
 あるときアルフレド・アバロスのフォルクローレのCDをかけていて、その後にソロの展開の多いピアソラのCDをかけると、このコンビネーションがやりたかったんだと気づいた。フォルクローレを弾くピアソラやサンバを弾くサルガンをやりたかったんだと。こうしてキンテートを結成することになった。