05.Apr.2018

あなたがきっと訪れない場所

ブエノスアイレス州アスクエナガ

 圧倒的なスケールのイグアスの滝、地球最南端の街ウシュアイア、エル・カラファテのぺリト・モレノ氷河、ブエノスアイレスのタンゴ、北部サルタや西部メンドーサのワイナリー…数多くの観光名所が連なるアルゼンチンにあって、そのどこよりも「遠く」、あなたがきっと訪れないであろう場所もこの国には存在する。

 アスクエナガの村はブエノスアイレス州の農村部にひっそりとたたずむ。ブエノスアイレス州知事を務めたアスクエナガ将軍の名を冠して1880年に設立し、現在人口わずか300人を数えるばかりのこの村はアルゼンチンの首都であるブエノスアイレス市から130キロ北西に位置する。村の周囲には舗装された道路はなく、土ぼこりが舞うばかり。

 村にはわずか3軒しか食事をできる場所はなく、全てが旧駅の向かいに位置している。観光ガイドにも載っていることはもちろんなく、直感でそのうちの一つ「ロ・デ・トト」に足を運んでみる。レストランというよりは、食事処といったほうがお分かりいただけるだろうか、アドべ(粘土と砂でできた素材)が壁に用いられ、村ができたころを思い出させる内装には古い写真やアンティークが飾られている。驚いたことにアルゼンチンを代表する画家であるフロレンシオ・モリーナ・カンポスのオリジナル作品もそこには混ざっていた。

 食堂の心優しいグラディス夫人が招いてくれた古いテーブル席は小さな庭が見え、鳥と自然の音が聞こえてくる特等席だった。

 しばらくすると主人であるトトがやってきて、待ってましたといわんばかりに特別な対応をしてくれる。食事のメニューはアサードとサラダ、ハウスワインとソーダ水、デザートに特製プリンまでついている。我々の他には誰もいなかったのだが、人口300人であることと、ブエノスアイレス中がこぞって南部のビーチへと走る真夏の最中ということを考えると無理もないことかもしれない。

 心優しき彼らと時間を共有するうちに、会話の流れは自然と古くからの友人とのようになった。食後もマテやパン、ジャム選手権で賞を獲得したことのあるグラディス夫人特製ジャムなど次々と出てくる。正午に村に着いたが、気がつくといつの間にか時計は6時を回っている。

 8ブロックしかないこの村を40分かけてゆっくりと散歩し、静寂が包む通り、教会、古いパン屋や駅の跡をめぐる。荒れ果てた駅こそがアスクエナガの設立と発展そしてその後の衰退には鉄道の存在が大きく関係していることを物語っているようだった。

 元の食事処に戻ると、トトとグラディスが冷たい自家製(この村では全てが自家製だ)ビールで乾杯しようと待ってくれていた。

 彼らの温かい歓待を受けて、アスクエナガの村を後にした。どこにでもあるようで、どこにでもない村。いつかあなたも訪れることがあるだろうか、ないだろうか。