07.Jul.2020

日本とアルゼンチンの友好関係 ペヘレイ養殖事業

ウィルマル・メリーノ

日本とアルゼンチンの友好関係 ペヘレイ養殖事業

西洋における初代の魚類養殖用水槽は、紀元前1世紀の古代ローマのある将軍によって発案されたものとされています。中世では、修道士が、コイやマスを肥育するために自然の池を活用していました。我が近代においては、パリ科学アカデミーが、サケとマスの卵の人工受精の研究を進め、最初の養殖研究所を設立しました。そして、ここアルゼンチンでは、19世紀の後半、ペヘレイの養殖が日本の知識を基に大きく発展しました。

その前歴として、1904年に、米国人技術者が、ペヘレイの精子を用いた卵の人工授精によって、ペヘレイの受精卵が得られることを確認した事例が挙げられます。これは、ブエノスアイレス市から南方に120キロの所にある、数年後には「ペヘレイの首都」と称されたチャスコムス市にて実施されました。その時点から、チャスコムス湖の沿岸において、小さく原始的なペヘレイの孵化場が建設され、そこで得られるペヘレイの受精卵や稚魚が、ブエノスアイレス州の多くの水域に放流されるようになりました。

ペヘレイは優れた肉質のため、19世紀末からその大部分が、消費の為にブエノスアイレスの都市まで鉄道で輸送され、それが巨大な量に達していたため、商用漁業からの強い圧力を受けていました。

ペヘレイ養殖事業を強化する必要性により、1943年11月7日、当初はブエノスアイレス州の農業・畜産・工業局、その後の農務省に属したチャスコムス陸水生物研究所、若しくは、チャスコムス水産養殖場(EHCh)が落成しました。しかしながら、ペヘレイの孵化した仔魚数、受精卵や稚魚の放流先に関するデータは、特に湖の水位の低下により中断されたものもあり、1953年以降のものしか記録されていません。

ペヘレイの養殖技術に精通し、受精卵の輸送を検討するため、1966年8月28日、神奈川県淡水魚増殖試験場の技術者である鈴木則夫技師がアルゼンチンに到着しました。一度失敗した後、同年10月17日、79,000粒の受精卵が日本に’発送され、このうち、31,567尾の稚魚が得られました。これらは、神奈川県淡水魚増殖試験場で育成され、卵と稚魚の生産までのサイクルを完成することができました。その時点から、日本国内にてペヘレイの普及が、埼玉県、滋賀県の水産試験場から始まり、その後、全国に分配されました。

日本とアルゼンチンの友好関係 ペヘレイ養殖事業

1978年、ビジネス・ベースの養殖事業の初代成功者となった安田直弘氏が、埼玉県ででペヘレイの養殖事業を開始され、1985年には21県の代表者が集まり、ペヘレイに関する研究のための協会が設立されました。1991年11月13日、日亜ペヘレイ友好協会が、1966年9月12日に日本に最初のペヘレイの受精卵が出荷された、25周年を記念した式典をチャスコムス陸水生物研究所にて開催し、そのビックイベントとして、そのために特別に持ち込まれた、最初に日本に渡ったペヘレイの子孫が、チャスコムス湖に放流されました。こうして、日本とアルゼンチン両国間の友好の輪を象徴的な方法で閉じることができました。

2002年、「ペヘレイ増養殖研究開発計画(2002-2005)」を実施するため、国際協力機構(JICA)、ブエノスアイレス州農務省水産局とアルゼンチン国立科学審議会(CONICET)との間で合意文書が締結されました。チャスコムスに派遣された日本人専門家2名と日本で研修を受けたアルゼンチン人技術者を通じ、親魚の育成、餌の生産技術の改善とともに、養殖技術の開発、遺伝物質の解析技術の進展を図ることができました。

2005年より、チャスコムス陸水生物研究所は、ブエノスアイレスの様々な地域、近隣諸国を含む他の州の各種水面におけるペヘレイ資源の持続性を図る「ブエノスアイレス州内外ペヘレイの農村養殖・漁業事業促進」プロジェクトの第二段階を開始しています。この結果、ボナエレンセ・ペヘレイ(学名:Odonthestes Bonariensis)は、ウルグアイ、チリ、ボリビア、ブラジル、イタリア、フランス、イスラエル、コロンビア、当然日本も含む諸外国でも知られているとおり、その優れた肉質とスポーツ・フィッシングの経済的な重要性から、世界で最も知られているアルゼンチンの淡水魚となりました。

しかし、ペヘレイの養殖はどのように行われるのでしょう? 2miradasは、ブエノスアイレス州農務省に属するチャスコムス陸水生物研究所を訪問し、責任者のGustavo BERASAIN氏から、養殖の各工程について話を聞きました。

日本とアルゼンチンの友好関係 ペヘレイ養殖事業

「稚魚の状態から飼育した繁殖用親魚から始めます。これらを、80,000リッターと100,000リッターの水槽に、年齢5~6歳に相当するペヘレイ、500グラム以上の雌1尾にあたり雄1尾の比率で集めます。各季節において、雌魚は、卵50,000粒まで産卵し、卵は雄魚より受精されたら、水槽の中で回転したままにされ、後に特殊な熊手のような物で取り出します。卵は、ねばねばした繊維を有するため、相互に付着して房状になります。取出したら、それを手作業で切り離し(受精されていない状態を示す白っぽいものを除外し)、受精されたものをルーペで判別した後、適切な酸素の循環と適正な水和を確保し、菌による汚染を避けるため、水が常時循環している容器内で孵化します。

日本とアルゼンチンの友好関係 ペヘレイ養殖事業
日本とアルゼンチンの友好関係 ペヘレイ養殖事業
日本とアルゼンチンの友好関係 ペヘレイ養殖事業

この作業は次の通りです:「1㎝³」当たりにペヘレイの卵は200粒入るため、受精卵を「cm³」単位の計量カップを用いて計れば、不受精率を想定した孵化仔魚数が試算できます。10~12日間に亘って受精卵が孵化し、仔魚が卵の殻を破ると、それを稚魚の飼育を行うための水槽に移します。水域に放流する選択肢としては、ペヘレイの受精卵、孵化して間もない仔魚、若しくは、稚魚の状態で行うことが考えられます。

日本とアルゼンチンの友好関係 ペヘレイ養殖事業

この作業は次の通りです:「1㎝³」当たりにペヘレイの卵は200粒入るため、受精卵を「cm³」単位の計量カップを用いて計れば、不受精率を想定した孵化仔魚数が試算できます。10~12日間に亘って受精卵が孵化し、仔魚が卵の殻を破ると、それを稚魚の飼育を行うための水槽に移します。水域に放流する選択肢としては、ペヘレイの受精卵、孵化して間もない仔魚、若しくは、稚魚の状態で行うことが考えられます。

ここでは、数値関係となります:卵、仔魚の状態では、より多くの数量が放流できますが、高い割合が最初の段階で生き延びず、昆虫、或いは、他の魚等に捕食されます。一方、稚魚を放流する場合、放流する数量は少なくなりますが、生存率が高くなります。常に、生産量の一部を養殖場の繁殖用親魚の再生に当てます」。以上が、専門家である彼の説明です。

最後に、このチャスコムス陸水生物研究所は、干ばつ、或いは、乱獲によってストレスを受けている個体数の回復に役立っているほか、毎年4,000~5,000人もの学生を受け入れているという、優れた教育活動についても紹介すべきでしょう。この「ペヘレイ工場」で学ぶ魚の生涯のプロセスに、学生達の誰もが驚嘆しています。

日本とアルゼンチンの友好関係 ペヘレイ養殖事業
日本とアルゼンチンの友好関係 ペヘレイ養殖事業